「屋」と「家」

 何かを商売とし売り物としている人を「~屋」、何かを天命か使命としている人を「~家」として、通常「~家」と呼ばれている職業の人を貶す意味で「~屋」と呼ぶことがある。例えば「政治」と「政治」のようにである。

 逆に、通常「~屋」と呼ばれている人を貶すために「~家」と呼ぶことはありだろうか? 例えば妙にこだわりがあり客にルールを強いる頑固おやじなラーメン屋を、芸術家気取りかと言いたくてラーメンと呼ぶようにである。

 

 しかし、「屋」と「家」……つまりは「家屋」をバラしたものではないか! これって熟語の種類としては、似た意味の語を重ねたもののはずなのに!

「煙とサクランボ」松尾由美・著

想いよ届け。すべての謎が解かれる前に。

単行本のオビより

 松尾由美先生の小説「煙とサクランボ」のタイトルは、この本の第3章で説かれるように、見ることはできるがしっかりした形のないタバコの「煙」に象徴される幽霊紳士氏と、瑞々しく美しい「サクランボ」のような女会社員さんを示しています。さらに、タバコの煙とサクランボ、共通点は昔ながらのバーにふさわしいことだけと語られる、バーを体現するバーテンダー氏、ワトソン役を務める彼も含めた三人の物語がこの小説です。

 この小説の幽霊には独自の設定がありまして、

  • 幽霊になるのは、なにかの思い残りがある者だけ
  • 思い残りが解消されると、その幽霊は消失してしまう
  • 幽霊本人の死を知る知人縁者には幽霊の姿を見ることはできない。何も知らない赤の他人だけが幽霊の姿をそれと知らずに見ることができる。

と、言ったところが主なところです。他にも、行動可能範囲が決まっていたり、腕力が乏しかったり、昔話の幽霊のように必要な時に化けて出現するのではなく、常に姿があって文字通り彷徨い続けなくてはいけなかったりして、このあたりの幽霊生活リポートもユーモラスに描かれています。

 

 さて、この小説の主題となるのは、女会社員さんが幽霊紳士氏とバーテンダー氏に語る、かつての彼女の家に起きた放火事件の謎です。そもそも、幽霊紳士氏と女会社員さんには何か縁があるとほのめかされており、それがどうやら幽霊になる条件である「思い残り」にも関連しているようでもあります。いったいそれはどう結びつくのでしょう? また、その結びつき・因縁を明らかにすることは、幽霊紳士氏が自らの死を公開し、また思い残りを解消することにもつながります。つまり、幽霊紳士氏が女会社員さんの前からいずれ姿を消さざるを得ないことは明らかであり、それが、オビの売り文句である想いよ届け。すべての謎が解かれる前に。となるわけです。

 このように、何かの秘密を抱えた人が、何とかそれを愛する人に分かってもらう、これは「わたしのリミット」と同じで、ただ、「煙」は秘密を抱えた側から、「リミット」は秘密を知らされる側から見た物語であることが違う点です。つらいこと、信じがたいことには、ただその事実を告げられるのではなく、自らによる思考を重ねてこそ受け入れられやすい、というのが「リミット」における主張です。それと同じように幽霊紳士氏は、自らの罪の告白に、ストレートな告白という形をとらずに、推理の形をとって一歩ずつ手を引くように真実へと導く形をとります。

 また、この物語は幽霊紳士氏と女会社員さん、バーテンダー氏の三角関係を巡るものでもあるのですが、幽霊紳士氏は偏頗な部分も抱えた人であるにも関わらず、女会社員さんもバーテンダー氏も*1幽霊紳士氏のことが大好きすぎるほどで、二人とも父親を亡くしているだけに、ファザコンが入っているのではと邪推までしていますが、事件はともかく人間関係が暖かいだけに安らかに読むことができる物語になっていると、思います。

主要登場人物一覧
  • 炭津(すみづ):幽霊である紳士。名乗りの由来は、英語でありふれた名前の代表とされる「スミス」をもじったもの。
  • 立石晴奈(たていしはるな):漫画家兼業の会社員。放火事件の当事者。
  • 柳井(やない):バーテンダー、一人店主。幽霊を見てそれと捉える能力の持ち主。
  • 高田(たかだ):炭津の幽霊としての先輩。生前は銭湯の主人。
  • 綿貫(わたぬき):出版社勤務。かつて、炭津をアルバイトとして雇っていた。
  • 西島(にしじま):「立石家の恩人」。晴奈の父の身代わりとなって交通事故で亡くなる。
余談

*1:幽霊紳士氏が事件に関わっていることに勘づいていたぐらいですから、クライマックス、三人で店を借り切る依頼をされた時点で、幽霊紳士氏が「成仏」しようとしていることに気付いても良かったのではないでしょうか。多分、突き詰めて考えるとこの結論に至ることにうすうす気づいて、考えないようにしていたのではと思います。

続きを読む

ロトの剣の部屋(リメイク版の)

 リメイク版DQ2で、竜王の城の中は洞窟になっている(地上の廃墟と最深部の宮殿を除く)。うち、ロトの剣のある部屋だけ、洞窟としても珍しいことに床が張られているのだ。*1

f:id:Ryuou_5dai:20201005142103p:plain

竜王の城 地下2階

 同じリメイク版のDQ1では、ロトの剣の部屋は洞窟の普通の一室である。この背景には何があるのか想像をめぐらしてみようと思う。

 1にはなくて2にはある、となれば、当然床を張って部屋を奇麗にしたのは竜王のひ孫であろう。ここから窺えるのは、ロトの勇者(1勇者)、ひいては勇者ロトの一族に対する敬意である。城のつくりは竜王の時代のものをなぞり*2、姿も同様、名乗りにも取り入れている竜王のひ孫が竜王に敬意を持っていないはずはないが、その竜王ロトの剣を手に入れてはいても、置き場は無造作*3だった。それが奇麗な部屋に置かれているのだから違いは明らかである。偉大な曽祖父を倒した相手だからこそ、尊敬するのだろう。

 

 しかしその思いの結果が、というと……いかにも良さげなものがありそうと期待させておいて、手に入れてみればラダトームで売っている大金槌とほぼ同じ攻撃力、しかも、リメイクで大金槌の攻撃力は上方修正されてわざわざロトの剣と同じになっている。すでに買っていればがっかりだし(大金槌を装備できないサマルに渡すという使い道はある)、入手した後に店売り武器と同じと分かってもがっかりである。しかも店売りでさえより強い武器はある。ロトの剣は不幸である。

余談
  • ところで、竜王の宮殿には宝箱が並んだ宝物室が、1の時代にも2の時代にもある。ロトの剣をそういう、いわば手元に置かないのは興味深いところではある。
  • 似たテーマである、二次創作「剣」においては、オリジナル版が頭にあったので、土が掘られただけのトンネルの一室をイメージしている。
関連記事

竜王の島への橋竜王の城周りから読み取るひ孫の態度について触れた記事

*1:いわくありげなのに直接には行けないという、DQ1での、ラダトームから見える竜王の城というシチュエーションでおなじみの演出である。

*2:竜王の城とひ孫の城が同一のものであるかどうかを考えるのも面白いのではないか。→竜王の城の連続性

*3:「むぞうさ」のつもりで書いたけど、無・「ぞうさく」でも意味は通じるな、この場合。

「秘密結社の時代 鞍馬天狗で読み解く百年」海野弘・著

 大佛次郎の「鞍馬天狗」を題材に、幕末から百年の日本の秘密結社を語る……はずだが、鞍馬天狗も小秘密結社、敵集団も秘密結社と呼んでみるばっかりで、その方面には深い話にならないところがビックリである。「鞍馬天狗」にも秘密結社にも詳しくなった気がしない。*1

 

 しかし、適当な題材を見つけて列挙するばっかりで深い話にならない、というのは自分の書く記事を見ているようで、反省する。

*1:むしろ、物語の舞台となる維新前後に、パリ・コミューンや小説が書かれた戦前戦後を重ねているという見立てのほうが有用ではないか。

「隅の老人」に感じる松尾由美感

 子供のころよりウン十年、久方ぶりにバロネス・オルツィの「隅の老人」を読み返した。とは言え、今回は新たに出版された【完全版】であるが。

 読んでいて感じたのが、松尾由美先生のものに似た雰囲気である(無論、実際はオルツィ先生の方がずっと古いのだが)。
 なぜそう感じたのか? 翻訳物ということを感じさせない自然な、かつ上品な文体(殺人を扱っているものが多いとはいえ、会話で説明しているという設定なので、細密、つまりグロテスクにならないせいだろうか)。「隅の老人」の滑稽な風体・人柄や、書き手の「婦人記者」の、老人の頭の良さにはかなわないという自虐的な語り、そして、主に目の付け所を変えてみせることを中心としたトリックの鮮やかさ、そういったところが原因であろうか?
 ともかく、面白い作品であった。あと、「隅の老人」がほぼ毎回食べてるのでチーズケーキが欲しくなる。

何だよ、お嬢様か。

とは、「ニャン氏の憂鬱」中の主人公の心のつぶやきであるが、オルツィ先生は端くれかもしれなくとも貴族であり、松尾先生も石川県のトップ高校である金沢大学付属高校から、お茶の水女子大に進学したという経歴からしても、教育程度も実家の経済力も高そうなお嬢様の香りがする。品の良さはそういうところからか?

竜王はなぜ青肌なのか?

 DQ1竜王の人間形態は、なぜ肌色が青いのか? 無論、人のようであって人ではない魔物であることを端的に示すものであることは分かる。

 ただ、発表当時(1986年)でもその認識でよかったのか、当時の青肌キャラクターを振り返ってみる。

 やはり、当時でも魔物などの異形のたぐいを示す記号であったと考えてもよさそうだ。

 

 さて、なぜこんなことを気にしたかと言えば、青肌というのは、死者や重病者の血色の失せた肌色から発展したものだと思うからだ。*1竜王の城の最深部が、単なる地下迷宮の奥底(ゾーマの城の最深部のような)であるならいい。それなら墳墓のアナロジーになる。しかし竜王の城の最奥は光あふれる宮廷で、まるで竜宮(ナーガは地下に宮殿を持つという)のような別世界であり、生者の方がふさわしいのではと思うからだ。まあ、考え過ぎだろう。

*1:コメントより連想したが、ナーガの本場インドの神々は確かに異色肌ばかりである。とはいえあれは派手好みなだけで別枠だし流石にこじつけが過ぎる。

「影をなくした男」シャミッソー・著

 「わたしのリミット」作中で触れられていたので、何か新しい発見がないかと読んでみた。なお、登場したのは「子供向けの本」だが、私が読んだのは岩波文庫版である。

 結論から言えば、「リミット」の読み方が変わるようなことはなかった。作中のあらすじは良くまとまったものだと思う。主人公と悲恋に終わるミーナに注目しているのが特徴的と思わなくもないぐらいである。

 それはそれとして、この話はなかなか興味深い。影を弾みで売っぱらってしまった主人公だが、そのこと自体に喪失感を感じた風がない。人として持ってしかるべきものである影を失くしてしまった主人公を、周囲の人という人が嫌悪し糾弾し社会から爪弾きにされることで、やっと取り戻そうという気になった感がある。また、影がないことを(それほど)気にしない従者のベンデルやミーナといった人物も出てくる(犬のフィガロもそう)。世が後者のような者ばかりなら、影を買い取りのちにそれを魂と交換しようとした「灰色の服の男」のたくらみは失敗し主人公は楽しく世を生きたろうということを思うと、「影」は「人種」とか「前科」とかの差別のもととなるような属性の象徴ではないかと思うのも無理はない。

 また、「灰色の服の男」がドラえもんばりに、ポケットからありえない大きさのものを次々と取り出したり、金貨がいくらでも出てくる金袋や隠れ蓑、影を切り取る手管といった魔法を使ったりするのも面白い。しかしそれよりも興味深いのが、そういった奇跡を次々と演じながら、彼自身は全然目立たないことができるという奇妙さである。なにしろこの男を探しに行った従者ベンデルも、のちには主人公自身も、男が正体を明らかにするつもりがなければ彼だと認識できない風なのである。これも、ドラえもんオバQといった見るからに怪しいはずのキャラクターが変とも思われない藤子不二雄の日常系漫画の世界に通じてなくもない。