「竜王の城」の奥底にある地下宮殿、日の射さぬこの場所にも夜はある。
 そこで、今、一つの生きものが目を覚まそうとしていた。

挿し絵

 「ふにゅ?」
 その生き物は、小さな身体に見合わぬ大きな瞳を開けた。何か、違う。生き物は古の竜より受け継いだ感覚を研ぎ澄まし、周囲の気配を探った。
 何も、いない――そう、何もいないことが問題だった。いつも傍にあるはずの親しみ馴染んだ気配がない。生きものは寝床から小さな頭をもたげてその目で周囲を確認したが、やはり捜すその姿はなかった。
 「父さま?」
 つぶやきが宙に空しく消える。
 そういえば、眠っている間にかすかに空気が動いたのを感じたような気がする。父は、外に出たのだろうか?
 ゆったりとした寝巻きのまま、宮殿の外に出る。
 この宮殿は、広大な地底湖に浮かぶ島の一つに建てられている。まるで鏡のように滑らかな湖の波打ち際に立って、生き物は「耳を澄ませた」。
 やはり、いない。
 この空洞が広大とはいえ、父の力強い波動を捉え損ねることなどない。なら、いったい父はどこにいってしまったのだろう。
 まさか、地上?
 小さな生き物は、宮殿の塔の一つを見上げた。空洞にかすかに残る光に浮かぶその縦長の影は、高い天蓋にまで達している。
 通ったことは数えるほどでしかないが、そこを上れば地上に行けるはずだった。
 地上――この地底湖の何倍、何十倍と広くて、目を灼くような輝かしいもの(父に名前を訊くと、困った顔をして「太陽」だと教えてくれた)のあるところ、激しい風と強い匂いに満たされたところ、自分にはどうしても馴染めなかったところ、そこへ父は行ってしまったのだろうか?
 そういえば、地上に出たときの父はいつも楽しそうに微笑んでいた。
 父は、ここと――自分が嫌になって、出て行ってしまったのだろうか?
 そんなのイヤだ! 生き物は、塔へと駆け出した。

 どうも迷ってしまったらしい。洞窟を下ることはなかったはずなのに、地上へと着かない。
 今さらながら、いつも地上に出るときは脱出呪文リレミトで一気にで、洞窟を歩くのは宮殿に戻る時だけだったことを思い出した。
 「父さまー」「さまー」「まー」
 呼び声は空しく響くばかり。
 疲れてもう歩くのもダメだ。
 その時、幼子はなにか「太陽」にも似た、強く輝かしい何かの気配を感じた。
 あしに鞭を入れ、おそるおそるそちらのほうへ行く。
 幾つかの階段と通路を潜り抜けた末、小部屋にたどり着いていた。中には、魔術師の着るようなゆったりとした長衣をまとった、長身の人影があった。
 (父さま?)
 あんなに捜した父の姿なのに、声を掛けるのがためらわれる。
 父は、口を開いた櫃の中を見つめている。その櫃から、ここにたどりつくきっかけとなった神々しい気配が溢れ出している。中身は何かは父の陰になって見えないというのに、なぜかとても危険なものに思えた。
 父が、それに手を出そうとしている。
 「だめぇっ」
 かけだしていった幼な子は、父の手で抱きとめられていた。
 「どうして、こんなところへ?」
 父が、驚いた顔で見つめる。
 「父さまが……いなくなったかと思って……」
 それを聞いて、父が破顔した。
 「わたしがお前を置いてどこかへ行くものか。少し、懐かしいものを見に来ただけだ」
 父と子、二人の視線が櫃の中へ揃って向けられた。細長く幅広のものが横たわっている。だが、それが、竜の姿の時の、父の顎にびっしりと並んだ牙に匹敵する凶悪さを感じさせる。生き物は、それが自分の胸に突き刺さったところを思い浮かべて、力強い父の腕に抱かれているというのに思わず震えた。
 「そうか、血筋だな。お前にも判るか……。これが、怖いか」
 「うん……父さま。これは、なに?」
 「ロトの剣――王の中の王・竜王の命を奪った剣だ」父の声に篭る畏怖。
 「ひいおじいさまの? どうしてそれがなつかしいの?」
 「それは今度な。……それでは、帰ろうか」
 櫃が閉じられる。剣の気配はぱたりと途絶えた。
 ゆっくりと下へと向かう父の固くともしっかりした腕の中で揺られながら、幼な子はいつしか眠りについていたのだった。


創作メモ

 「生きもの」の話し方が本編と異なり「のじゃ」ではないのは、「生きもの」と「父さま」が同時代風の話し方をしているため。