心あたりはあるのだが

 米澤穂信先生の古典部シリーズの短編「心あたりのある者は」は、ゲームとして推理を始めたのに、調子に乗って進めていたら、終わった時には目的を忘れていた、という、全体としてみたら喜劇な作品です。しかし、折木は本当にゲームの目的を忘れていたのでしょうか?

 折木は千反田がらみでは、「信頼できない語り手」であるというファン一般の評判があります。そういう目で見直すと、目的を忘れたとは明言していないことに気付きました。「理屈と膏薬はどこにでもくっつく」というきっかけとなったことわざは忘れてしまったようですが。当初の狙いから外れて千反田を感動させてしまったので、せめて目的を誤魔化した、と解釈することも可能ではないでしょうか。千反田の頼みはなんだかんだ言って結局引き受けているのに、今回に限っては理由の推理を拒否しているところも怪しいです。

 

 ここからはお遊びですが、そういうウラがある風に、原作に少し付け加えてみようと思います。追加部分にはアンダーラインします。


「いえ、そうではなく。これがゲームというなら、折木さんは、何かを証明するためにこれを始めたような気がするんですが……。なんでしたっけ」

 ああ。

 そういえば、最初のうちはそんなことを考えていたような気がしないでもないのだが。

 思い返す。そう簡単に理屈をくっつけるなんてできない、確か俺は、そんな風に言い放っていたのだった。しまったな。千反田の、いかにも感きわまったような先ほどの様子を思い返す。

 せいぜい俺も首を傾げる。ちょうど千反田の首と同じくらいに。放課後の地学講義室、二人で首をひねっている。

「なんだったかな」俺はとぼける。

「なんでしたっけ」千反田が返してくる。ふう、こちらは本気のようだ。

「お前が憶えていないものを、俺が憶えている道理もないなあ」

 今回ばかりは違ったのだが。省エネ主義の俺がゲームを持ち掛けるなんて、今日は最初っから調子がおかしかったのかもしれない。

「……では折木さん、推理してみませんか」

 見れば、千反田の口元が緩んでいる。真面目そうに装っても、その大きな瞳が笑っているのがまるわかりだ。やれやれまったく。俺は、できるかぎり最大級の、作り笑顔でこう言った。

「勘弁してくれ」