「狐霊の檻 」廣嶋玲子・著

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 富をもたらすがゆえに、とある一族の屋敷に囚われてしまった狐の精霊と(稲荷っぽくはないな*1)、精霊の同情を惹くために世話係として買われてきた孤児の少女の、屋敷からの脱出譚である。廣嶋玲子先生らしく、またジュニア向けということもあって、とんとん拍子に素直な結末に持っていかれるので、安心して読める本である(ただ、物語の図式*2自体は同じ作者の「鵺の家」、のちに改題して「鳥籠の家」、と、よく似ているので既視感があった)。

 平八郎と犬丸、二人のヒーロー候補の真贋が明らかになっていく過程は読んでいて楽しみであった。狐の精霊あぐりこと少女千代、二人の思わぬ結縁が当初の思惑と異なる別の幸せなゴールに転がっていくのも興味深い。ただ、最後は、かの一族はこうして報われました、ではなくて三人は幸せになりました、めでたしめでたし、で締めて欲しかった。

 

 と、物語自体は素直に面白かったと言えるのだが、設定については思うところもいくつかあった。

  富ももたらすけどむしろ来るべき因縁を溜め続けるオカルティックでドメスティックな「装置」があったら人はどう動いてしまうのかを描いた物語としては、やまむらはじめ先生の「カムナガラ」を思い出した。あれも装置を所有する側は、うまい着地点を見出すことができず大破滅へと向かっていく物語だった。

 それにしても阿豪家はどういう理屈で滅びてしまったのだろう? それが因果応報というものではないか、と言うかもしれないが、必然とは思えないのである。あぐりこは囚われている間は反省させるために呪いを放ち続けていたけど、ひとがいいことに、解放してくれたら復讐までするつもりはなかったと読み取ったが(まあ、解放されたわけではなく自分で逃げ出したわけだが)。(元)あぐりこは手を出さなかったが反動が襲い掛かったので滅びた、のだろうか。あぐりこを素直に解放できていれば、あぐりこが反動を抑えて、ほどほどに幸せな一族として生き延びることができたのだろうか? 産まれたばかりの赤ん坊のことは考えたくない。勧善懲悪が物語のお約束だとしてもだ。

 しかし、阿豪一族はあぐりことの和解・解放という選択肢を選ぶことはできただろうか? あぐりこは、呪詛を放つことで、財に執着していれば命も危ないぞ、というメッセージを送っていたつもりだと語った。しかし、(特に物語時点での)阿豪一族の視点に立ってみれば、現に呪いを受けているからこそ、仮に解放したらそれ以上のどんな復讐を受けるか分からない、しかも捕らえ続けている限りは富には恵まれるわけで、これは簡単にはあぐりこの解放という選択肢を選ぶはずがない。欲もバリバリだろうが恐怖の方が勝るのではないかしら。

 それにしてもあぐりこは、呪いは加減できても金運は加減できないらしい。犬丸の故郷が滅ぼされたのは、あぐりこに責任はなくとも原因はあるのではなかろうか。

 

 ところで、最後に登場するあぐりこの新しい名前「かがり」のことを、呪術的な意味での「真の名」だと考える人もいるようだが、私は、「花鹿山のかがりだ」と名乗るせりふからしても、花鹿山(かじかやま)を新しい棲み処としたところから取った名前ではないか、つまり、漢字を当てれば「花鹿里かがり」になるのではないか、と考えている。千代と犬丸の二人を信頼して「真の名」を明かした、と思いたい気持ちもわかるが、これからは二人の住む土地の守り神となるのだ、という宣言だと思うのも美しいと思う。

追記

 興味深い感想:廣嶋玲子『狐霊の檻』 少女同士の絆、人と自然の絆: 時代伝奇夢中道 主水血笑録

 

*1:実在の秋田県のお稲荷さん「あぐりこ神社」・正式名は元稲田神社とその伝説が執筆のきっかけになったそうだが。

*2:「財産という名の負債」を参照。