犬になる王女(DQ2掌編)

 王女なんてつまらないもの、そう悟ったのは七歳の時だった。別に早くはないと思う。
 なにしろ周りには二種類の人間しかいない。わたしより偉い人間と、わたしより偉くない人間だ。私より偉い人間――私の父でもある王や、私付きの教師――は私の事情など少しもかまわないでただただ命令し怒鳴りつけ威圧してくる。わたしより偉くない人間(こっちの方が圧倒的に多い)は、敬遠して遠ざかるか、腫れものにでも触るようにびくびくと馬鹿丁寧に接してくるかしかしない。こんな人間にばかり取り囲まれては、王も声も荒げたくなるだろう。対等の友人であるローレとサマルを得た今、やっとかつてを振り返ることができた。許す気にはなれないが、あの頃の王の気分だけは分かるような気がする。

 こういうことがあった。私と同じ年頃の子どもたちが鬼ごっこをして遊んでいたのだ。きゃあきゃあと高く響く楽しげな声に、気を惹かれた私はその中に入ってみたのだ。
 だが、どうもうまくいかない。砂鉄の中に磁石を突っ込んだように、わたしが入ると、全てがおかしくなってしまうのだ。あれほど激しく動き回っていた足は止まりがちだし、歓声も途絶えてみんな口を閉ざして様子をうかがっている。鬼は、わたしが目の前をどんなにのんびりと歩いていても、離れたところの別の子供を狙って行ってしまうし、むりに触らせて鬼になれば、わざわざ替わって差し上げようと、わたしのそばをゆっくり走るのが何人も出る。あまりのつまらなさに途中で放り投げて立ち去ったとたん、楽しげな声がまた私の背に刺さってくるのだ。あれにはわたしもいやになった。

 そういうわけで、わたしが楽しいのは魔法の講義だけだった。メラ・ギラ・イオ・ヒャド・バギ・デイン、炎閃爆冷風雷の六大の織りなす魔法式の美しさ。私という人間は魔法と引きあう性(さが)だったに違いない。
 とはいえ最初に教わった呪文はそのような攻撃呪文ではなく、初級回復呪文のホイミだった。教師の唱える呪文に、たまたま転んでできたばかりだったキズがみるみる治っていくのを見た時は感激した。
 その日、覚えたばかりのホイミを試したくて、どこかに怪我している人がいないか探しに行ったのに、みんな無傷だったので、子供たちの誰かに怪我してもらおうと追いかけまわして叱られたのはイヤな思い出だ。

 そして、わたしの運命をかえるきっかけとなったのも魔法の講義だった。呪文の紹介として渡された、伝説の勇者ロトの時代に執筆されたという一冊の書物に、わたしは夢中となった。
 その書物は、呪文を使ったところの絵図に呪文の文句と簡素な説明を付した、魔法書と言うよりは絵巻にちかいものだった。そこには数多くの呪文が載っていた。最初の方に載っていたのは、小さな火の玉を撃つメラや、わたしが習ったばかりのホイミといった簡易な呪文であった。そこから順々と強大なものへと移っていき、最後の方ともなると、大爆発を起こして軍団をも圧倒するというイオナズンや、竜と化して口から吐く炎で全てを焼き尽くすというドラゴラムなどの絶大な威力の呪文が記載されていた。

 魅力的な呪文の数々に、すぐさま、わたしは教師に一刻も早く教えてくれと頼み込んだ。だが、返ってきたのは否定的なものだった。ごく一部を除いて、教えることは不可能だと言う。
 わたしは訊ねた。どうしてここに呪文の発音は書いてあるのに、使うことはできないのですか? と。講義の大半は聞き流しで済ませたが、そのやりとりだけは覚えている。

 ムーン王女、どうして「呪文」の短い単語であなたはその意味が分かると言うのですか? そうです、言葉の意味はその発音にあるのではなく、あなたの頭の中にあるのです。言葉はそれを探し出す鍵でしかありません。呪文も同じです。魔法の力は呪文そのものではなく、術者のその内にあるのです。かつて、ダーマ神殿というものがあって、そこでは各人のその内に一息に魔法を叩きこむことができたそうです。しかし、そこ以外では師から弟子へと一つ一つ伝えて行くほかはありませんでした。伝えて行く者が見つからなかった呪文は、失われるしかなかったのです。

 それを聞いて、わたしはいくらか納得するとともに落胆もした。
 しかし、本当に使えないのだろうか?
 わたしは例の魔法書を持ち出すと、こっそり試してみることにした。
 かびくさい魔法書を開く。どの呪文がいいだろう?
 ベギラゴンの閃熱で――しかめつらしい朝議の間を焦げ墨の空き地に変えてやるか?
 バギクロスの旋風で――とりすました塔の一つも木切れとばら屑の山にしてやるか?
 いや、そんなものじゃ気が済まない。あるだけのないこの城・この世界がひっくりかえるほどめちゃくちゃにしたいのだ。
 ドラゴラム、それしかない。これなら気の済むまで炎を吐き続けれる。それに、わたしが王女のわたしじゃなくなるなんておもしろいじゃないか。
 わたしは、はやる息を一つ飲み込むと、一文字一文字呪文を唱えた。

 ド・ラ・ゴ・ラ・ム・!

 教師の言ったことは本当だった。わたしの中には、呪文を具現化するだけの認識か魔力か、とにかくそういったものがあったのだ。ホイミの呪文を唱えたときと同じく、身の内から岸に打ち寄せる波のようにほの白い力が盛り上がる。ホイミの時は、それが傷口へと流れ出していったが、この大いなる呪文の力の高まりは遥かに上で、私自身が呑み込まれてしまった。魔力が私と言う存在をばらばらにして別の形へと組み上げていく。その波に押し流されるなか、別の思いがちらりと心をかすめた。どうせなら滅ぼすより先に、もっと楽しいことがしたかっ……。

 気がつくと、わたしはさきほど呪文を唱えた時と同じ部屋にいる自分を発見した。どうなったのだろうか? 炎を吐けるような気はしないが、妙に体を動かしたくてたまらない。そう思った次の瞬間、わたしは部屋を駈け出していた。脚が倍になったように身が軽い。廊下を歩く家来たちのスカートや長靴の間をすいすいと抜けわたしは走っていた。
 そのうち、耳にあの小鳥のさえずるような楽しげな歓声が聞こえてきた。私は走る。やがて、中庭の一つで一団となって遊んでいる子供たちが見えてきた。わたしはその中に飛び込んだ。
 「きゃあっ、いぬっ!」女の子が悲鳴を上げる。
 「わんわん?」「わんわんだ!」男の子たちがはしゃぐ。みんななにを言っているの? わたしは一言怒鳴りつけてやろうと思った――「バウッ!」
 え? わたしは自分の口から出た音に驚いた。これでは、まるで犬が吠えたみたいではないか。確かめる間もなく、急に地面が遠くなった。激しく動かす手足は空を掻くばかり。抱き上げられているのだ。何をする! わたしは首を後ろに曲げると、わたしを持ち上げている男の子に文句をつけた――「ばうばうばう!」 男の子が驚いて手を離す。わたしは四つの脚で地面に着地した。これは、どうもわたしは犬になっているようだ。面白い! 「ばうっ、ばうっ!」わたしが怒鳴って追いかけると、子供たちはわっと雲の子を散らしたように逃げ出す。わたしはその中の一人を追いだす、誰でもいい、男の子でも女の子でも、脚がはやくても遅くても、どうせわたしに追いつかれるのだ。それでも、追いかけるのは楽しかった。時にはわたしが逆に捕まる時もある。そこから逃げ出そうと取っ組み合うのも、それはそれで楽しかった。
 まるで飛び去る時間自体を追いまわしたように、あっという間に夕暮れがやってきた。子供たちは一人また一人と親の元へと去っていき、わたし一人が取り残された。
 わたしも、戻るとするか。わたしは、城の自分の翼へと4つの足を向けた。ちょこちょこと、数がいつもの倍あるのにまったく絡んだりしないのが不思議であった。まるで生まれた時から犬であったかのように動いていた。あまりの自然さに、もとの王女に戻れるのか疑念が走った。もう一度呪文を唱えてみればいいのだろうか――「わう」。呪文が発音できない。つまり、魔力を引きだす鍵が使えないということか? まあ、いい。この呪文を使ったことのある人たちは戻れたのだろうから自分も大丈夫だろう、そのうちなんとかなるだろう、と悩まないことにした。
 戻ってみると、わたしの部屋の辺りは騒然としていた。わたしが急にいなくなっていたせいか? わたし付きの女官や護衛の兵たちが慌てふためいている。乳母や、護衛隊長、教師といった役付きのものたちが、鳩のように首を集めて相談している。何を話しているのだろう? ちょっと首を突っ込んだら、「野良犬? どこから王女様のところへ!」と乳母の太い脚が降ってきたが、わたしはひょいと避けた。そして彼らを尻目にこっそり寝室のベッドに潜り込むと、ちょっと休むことにした。

 物音に気付いて耳が立つ。薄眼を開けると、教師がベッドの枕元に立っていた。
 「もしや……ムーン王女ですか?」
 まあ、そうね。わたしは尻尾をぱたんとひと振りしてやった。
 ん? 教師が何か丸い物をこちらに向けた。ん~。なにか全身がむずがゆい。
 「なにするのよ?」文句がくちからこぼれ出す。あれ、人間の言葉? わたしは前足、じゃなかった、手で顔に触れた。わたしは人間の姿に戻っていた。
 ほっ、と教師は珍しく堅苦しい顔を崩して心底安堵したように、溜まった息を吐いた。だがすぐにしかつめらしく、「ムーン王女、みな心配していたのですよ。その呪文はもう、おやめ下さい」と小言を垂れた。でもわたしはそんなこと聞いていなかった。それよりも、教師の抱えているものに注目していた。わたしの変身を解いた丸い鏡、この教師は王に宝物庫の古物の調査も任されていたから、そこから持ち出したものだろう。これさえあれば、いくらでも変身できるのだ。あとは、どうやってわたしのものにするかだ。

 しかし、その目論見はあっけなく崩れた。めずらしく朝議に呼ばれたかと思ったら、その時の鏡(ラーの鏡、と言うそうだ)は危険なものと判明したのでどこかに廃棄されることが決まったそうだ。ちくしょう、あの教師が早手回しに王に告げ口したに違いない。失態だからもう少し隠しているものと思っていたのに。
 戻れない、と分かればわたしだってためらう。こうして、わたしが変身の呪文を使う機会は失われた。

 わたしがこの次に変身の呪文を使ったのは、ムーンブルクが落城しようとする際であった。


追記

竜王のひ孫と」とは別枠のDQ2掌編です。
 数日前に某所で、犬化ムーン姫の横に「また犬になれない(?)」という落書きがあるのを見かけて、ならば以前は何度も犬になっていたのだろうか、と連想したことがネタになっています。
 たぶんこの王女は、王子たちと出会ってからも、何かあれば犬になって町の隅でヒネてそうです。

※追記 「もういぬには なれませんよ?」でした。

二追 2010/10/30

改めて書いておきますが、この王女、ムラサキの過去ではないですよ。
どっちも「ムーンブルクの王女」なので魔法は得意ですけれど、共通点はその程度。こっちの王女はもっと大国(王女一人に建物一棟あたえるぐらいですから)の姫で、頭は短絡気味です。それに対しムラサキはもっとアットホームな王家の出で(「竜王のひ孫と」の王家はどこもそんな感じですが)、頭がいい分、斜に構えているところはあっても、基本のところでは王宮も国も愛してます。