四訪竜王城(その2)

 「さて」リュオは扉に寄ると、その細い腕にふさわしからぬ怪力で、一抱えもある太い閂を掛けた。ズン、と床が揺れる。
 「なんのつもり?」
 ムラサキがリュオに問いかける。階上には怪物も出現するというのに、あるじの自信を示すものか、この屋敷を訪れた時に鍵が掛かっていたということは一度もなかったというのに。改めて注意すると、今日は空気が淀んでいる。この扉ばかりでなく、窓その他も全て閉められているらしい。
 「念のため、じゃ。
 さて――」
 リュオが三人の顔を見回す。その深く黒い目から放たれた視線は、厚い紗をも貫くほど鋭かった。
「これから案内あないするところのことは、みな、心のうちにしまっておいて欲しいのじゃ」
 「え? どういうこと?」リュオの真剣な様子に、ロウガが戸惑いを見せる。
 「ふんっ」ムラサキが鼻を鳴らす。
 「……それは、この地に関することですか?」サスケが尋ねる。「大魔王ゾーマ竜王もその根城を置いた」
 「そのとおり、じゃ」リュオが重々しくうなずく。「ハーゴンの一味が決して入ってこぬように、な。
 とはいえ、この程度のものなど」リュオが閂を叩いた。「無いよりはまし、程度じゃろうが。
 さて、サスケ殿、ムラサキ殿、ロウガ殿。……母なる精霊ルビスに誓って秘密にしてくれるじゃろうか?」
 「聖なるルビスとロトの勇者に誓って」三人を代表して、サスケが約束した。ロウガがこくりとうなずく。ムラサキも、不承不承首を縦に振った。

 リュオが案内したのは、彼ら三人とリュオが初めて顔を合わせた玉座の間であった。
 「注意するのじゃぞ?」
 リュオは三人を入口のそばで待たせると、一人、彼女が二人いても並んで座れそうなほど大きな玉座に歩み寄った。後ろに回り込み、装飾に隠された仕掛けをいじくり、立ち上がって背もたれに手をかけたところで、もたれかかるように動きが止まった。
 重くて動かせないのか? 手伝おうと思ったサスケだが、あの重い閂を軽々と扱っていた彼女にそんなはずはなかった。
 思い切ったように、リュオが手を動かした。がくん、と重い玉座が前にずれる。
 次の瞬間、ロトの子孫たち三人は思わず目をつぶり足を踏ん張った。突風だった。リュオのいる玉座から突風が吹いたのだった。
 いや違う、感じたのはものを吹き飛ばすような、形のある風ではなかった。
 妙に心がざわつく。強い追い風を受けているかのように身が軽い。今なら、強力な閃熱呪文もいくらでも叩きつけられそうだった。
 サスケは悟った。この、今、自身に吹き込まれた凶暴な活力が、ゾーマ竜王の威力の源なのだと。
 他の人たちは? リュオは片手を玉座につき、肩で大きく息をしながらもうつむいて静かに耐えている。ムラサキは、目を血走らせながらも、力を一滴残さず呑み込もうとしている。ロウガは――。
 奇声を上げて走りだそうとするロウガの足を、サスケは鉄の槍の柄で乱暴に刈った。倒れるロウガに組みつく。恐ろしい力で暴れるロウガを押さえつけるのは、竜の背にまたがるようなものだった。鎧をつけた男一人を背負っていると言うのに、ロウガはうつぶせになったままバッタのように二歩、三歩と跳ね進んだ。だが、結局はロウガの力をサスケの技が上回った。
 押さえることしばし、
 「サスケぇ、痛いよ」ロウガが手足をむやみにばたつかせるのを止め、泣き声を上げた。落ち着いたようだ。サスケは固め技を解いた。あの心をたぎらせた「突風」は、静かなそよ風程度におさまっていた。

 玉座のあとに開いた隠し穴のふちに集ったロトの子孫たちに対し、竜王のひ孫リュオはうつむいたままの頭を下げた。
 「済まなかったのじゃ……。警告が足らなんだ、儂の手落ちじゃ」
 「詫びるのはいいんだけど、これは、何なの?」
 決して全然よろしくない調子の声で、ムラサキが問いただす。杖の先は穴の中を指している。深く暗い穴の中からは、いまも、蒸留酒から立ち昇る酒精にも似た、身を妙に昂ぶらせる風が吹き出しては四人の顔を洗っている。
 「この先は……」リュオは一度言葉を切ったのち、思いきるように答えを吐いた。「……『世界の、中心』じゃ」
 「せかいのぉ、ちゅーしん?」
 ロウガが、間抜けに口を開けたまま、サスケの顔を見る。だが一行の歩く事典が、今回は口を閉ざしたままだった。分からない、のではない。憶測を軽々しく口にするのを恐れているのだ。
 「そう、かつて精霊ルビス様が混沌のなかからこの世界を生み出した時、最初に現れたのがこの地なのじゃ」
 「そういう所縁ゆかりある場所で召喚を行うというのは分かるわ」魔法の専門家として、ムラサキがうなずいた。「でも、この『風』はなに?」
 リュオが説明の言葉を選ぼうとして口ごもる。「……いや、その目で見てもらった方が早いと思うのじゃ。少々不快なことがあるかもしれぬが」
 「何よ、不快なことって?」
 リュオはムラサキに無言で背中を向けて、穴の中に足を入れた。その背を守るようにサスケが続く。
 「いったい何だってんのよ?」
 「そうだよな、分かんないよな」
 ロウガが相槌を打つ。
 「あんたに言われてもね」ムラサキはロウガの顔を見直した。鳩が豆をぶつけられたような、会話の中身が本当に分かってなさそうな顔をしている。それでも毒気が多少は抜けたらしく、ムラサキはリュオとサスケを追って穴に入った。ロウガも続いた。

 穴の中は、まるで煙突に強引に足場をつけたような、急な急な階段となっていた。まるで下りると言うよりは墜ちると言う方が近い中を、四人は足を進めた。薄気味の悪い生暖かい風は狭い穴の中で全員の体を洗う。明かり一つ持たないのに足元がほのかに見えるのは、穴の底から光がかすかに差しているせいだが、いったい何の光なのか、あまりに急で降りるのに集中するロトの子孫たちには、リュオに尋ねる余裕などなかった。
 だが、耳は異音を捉えた。ざわめかしい風に乗って、かすかな音が聞こえてきた。いや、ただの音ではない。それは意思ある人間の声だった。鬱々と延々と、誰かが何かに訴えかける声。呪うような声。だが、遥かに遠くからの声のように、そこから意味をくみ取ることはできなかった。
 「なに? 誰がいるの?」
 ムラサキが疑問を口にする。そのせいで足元がおろそかになったのだろう。階段を踏み外しかけたところで、下のサスケと上のロウガにムラサキは助けられた。
 「気を抜くと、危ないのじゃ」先頭のリュオが見上げる。
 「いったい誰の声よ!?」暗い中でも宝石のように光る眼で、ムラサキがリュオを睨みつける。
 「し、下について落ち着いたら話すのじゃ、じゃ、じゃから……」
 この狭い階段、しかも間にサスケが挟まっていては詰問することもできない。ムラサキはしぶしぶまた降りだした。

 地獄の底にまで続いているのではないか、と思うほど深い階段の下にあったのは、新たな空洞であった。竜王の屋敷があった上の空洞よりはずっと狭く、広間と言った方がふさわしいような広さであった。
 だが、ロトの子孫たちの目を捉えたのはそのような些細なことではなかった。空洞の中央に割って入った巨大な裂け目、妖しい風も光も声も、全てはそこから発しているのだった。
 彼らはかつて、邪教徒たちの根拠地の一つであった火山島の洞窟を訪れている。そこで彼らは赤く光る溶岩を目にしたが、裂け目からの光も熱もその溶岩には到底及ばなかった。だが、温かい茶が焚き火の熱さに敵わなくともからだを内からずっと暖めるように、裂け目から吐き出されるものは彼らを奇妙に苛立たせ落ち着かなくさせた。
 「ここが、『世界の中心』じゃ」リュオが説明した。「そして、あの裂け目は、『魔王の爪跡』と呼ばれておる。あの中は、魔界につながっておるのじゃ」
 「『魔王の爪跡』というと、大魔王ゾーマが現れたときに大地に刻まれたと言うものですね。勇者ロトの伝説で読んだことがあります」サスケが確認する。
 「その通りじゃ」リュオがうなずく。
 「なんでそんなものがあるのさ? ここからセカイは始まったっていうんだろ? ルビスは割れたまんまセカイをつくったっていうの?」
 ロウガのもっともな疑問に、リュオが感心したようにうなずいた。
 「その通りじゃ。おそらく最初は割れておらなんだのじゃろ。じゃが、端が弱いのは何事も同じじゃ。一番初めにできたここは言わば端のようなものじゃ。世界はここで初めて綻んだのじゃ」
 「ではあの風は」ムラサキが裂け目を見やる。「魔界の風」
 リュオが深く深くうなずく。「そう、魔界の風じゃ。魔物ならぬ我らとて、この風を受けておると力が湧く。じゃから、ここをハー……ゴホン、あ奴には渡すわけには行かぬのじゃ。
 そして、あの声は奴の声、魔界の邪神に呼びかける声じゃ」
 いまだ顔を見たこともない仇の声、それを知ってムラサキは裂け目をキッと睨みつけた。

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