ふるとり尽くし

 近頃読んだ本に、「雅雄」という名前の人が出ていた。優雅の「雅」、雄雌の「雄」、どちらも普通に人名に使われる漢字だけど、並ぶとどちらもつくりふるとりなだけに、見ているとなんだか戸惑ってしまう。

 そこでどうせなら、名字の方も「ふるとり」で何か揃えれないかと考えてみた。とはいえ、つくりが「ふるとり」で使えそうなのはこの「雅」と「雄」ぐらい(「難」は文字通り難あり)である。そこで思いついたのが、「雀集」である(名前と合わすと、雀集雅雄になる*1)。問題は読み、「小鳥遊」が「小鳥が自由にふるまえる」、つまり天敵の鷹がいない、ということで「たかなし」と読むようななぞなぞめいた心が必要だ。


 さて、あらためて、漢和辞典もめくって、「ふるとり」の入った漢字はどんなものがあるか考えてみた。

 まず、鳥類に、はやぶさすずめかりきじ、 それにこうのとりという字もある。また、成り立ちはことなるがつるもそうだ。
 鳥自体に関わるものでは、おすめすひなおさない、鳥が一羽でセキ、二羽でソウ(「双」の旧字体)、いっぱいいてあつまる。
 会意文字では、ザツだれはなれる、しいの木、す、うずたかい、もよおす、きりなど。
 まだ他にも、むずかしい、みやびふるい(「旧」の旧字体)、ひとしい、なぞらえる、たずさわる、とらえる、る、やとう、たしか、ケン力、そそぐ、など。
 それに、日本語としてはともかく、中国史で見かけたものに、項羽の馬のスイ前漢武帝の将軍カク去病、地名のヨウ州、ワイ河などがある。

 しかし、ここまで列挙しておいてなんだが、漢字一つで「確」たしか「鶴」たづがねとかと和語でますのはなく、二字三字と組み合わせて名字らしくするとなると難しい。雀にはちょっと知られた熟語で「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」の「燕雀」がある。これは片割れが「燕」なのでなんだが、似たような列挙型の熟語に「鸛雀」(まとめても「こうのとり」)があるが、これはあんまりぱっとしない。
 それでも、稚雛わかひな雉獲きじとり・家紋の「対い鶴むかいづる」のようなイメージで、雙鶴ふたづるなんかが思いついた。とはいえ、最初の「雀集」はやっぱりインパクトがある。


 余談だが、探しているうちに、「誰か烏の雌雄を知らんや」という妙にトリの多いことわざを見つけてしまった。

*1:作家の津原泰水(すべて「水」入り)みたいだ。

天円地方

 「天円地方」という漢語は中国古代の世界観を示したものであり、天空は円形、大地は方形をしているという意味である(天空と大地の接合部はどういう形状になっているのか気になる)。世界の辺境を示す語に、「天涯地角」があるが、天のはてはともかく、地の方が「角」、「かど」と読める語であるのはそういう世界観であるからだろう。

 さて、世界が四角いというのは多くのコンピューターRPGがそうで、わがドラクエも例外ではない。ならば、このあたりの語感の語で二次創作にも使えそうなものがあるのではと思われる。世界観に合わないからファンタジーで安易に宗教や外国由来の単語を用いられると興ざめする、と言われるのと逆の意味で。

景気づけ占い

 ひとつ前の、岡本綺堂「中国怪奇小説集」備忘という記事で、両面とも表の硬貨を用いた占いのイカサマに触れた。
 こういうインチキ、というか端からいい目しかでないようになっている、景気づけの占いというと、思い出すのが「魁!! 男塾」に登場したものである。

 一つは、100ある目のうち99までが「勝利」、残りの一つだけに「死」と書かれたルーレット、もう一つは六つの面に全て縁起の良い文字の書かれたサイコロである。前者はほとんど、後者は絶対悪い目が出ないようになっており、出陣前の景気づけに持ち出されたものであるが……ありえないことに二度とも不吉な目がでることになってしまう。男塾の戦いが苦戦苦闘の連続だと思うと、まさしく当たっているわけであるが。

 ここで冒頭の銭貨占いに戻る。狄青将軍は、なんと百枚を一度に投げ、勝利ならばすべて表になれと確率的にまずありえない願いを述べたのだが、結果はすべて表で軍勢は大いに士気を高めた。実はひそかに両面とも表の銭を用いていたのだ――というのが故事である。

 男塾ならば、100枚とも表? ありえない! と塾生たちが叫ぶ中で、鬼ヒゲ教官が心配するなと両面とも表であることを示して占いに入る、そこまでは想像できる。問題はそこからいかに不吉な目を出すか? というところ。突風か何かが突っ込んでくるかして銭が跳ね飛ばされ壊れてしまうか、誰かに踏みつけられ「裏」と烙印されてしまうか、どうもサイコロの時の二番煎じしか思いつかない。

岡本綺堂「中国怪奇小説集」備忘

 岡本綺堂先生が選んだ中国怪談傑作集から、興味深かったところの覚え書き。

虎の難産

 産婆が(化生でない)虎のお産に連れていかれて、お礼もあった話。

天使

 三国志麋竺の家に、火災をもたらす天の使いがやってくる話。

白帯の人

 黄衣白帯の化生が、黄帯ではなく白帯の自分を助けてくれと依頼する話。そのあと黄色い大蛇と白い大蛇が現れ戦い始めるが……。ややこしい服装だな。
 実は黄色い大蛇の方が依頼者……て、ことはないか。

烏龍

 題名は忠犬の名前。怪物としては「烏龍」というのは存在しないというが。

蛟を生む

 川の流れに感じて三匹の蛟を生む話。あざなは大きい順に「当洪」「破阻」「撲岸」。つまりは洪水の化身か。大水の日に川に帰った。

七聖画

 正体は鴿はとの七人兄弟が見事な絵を描くが、作業の際のあまりの静けさに押し入った人々に作業を中断されて未完成になってしまう話。祟りはない。

陳巌の妻

 化生の登場する話。サルの化生の方は名字が「侯」、獣偏にしたら「猴」で漢字が通ずるのはわかる。黒犬の方は「盧」、どうしてこの字かと思ったら、この字は「黒い良犬」の名に用いられるとか。

李生の罪

 二十七年前の殺人事件の被害者の生まれ変わりに(理不尽にも)殺される話だが、被害者は三十七歳。誤植?

鬼国

 常人が(中国の)「鬼」扱いされる怪しい島の話。倉橋由美子「オーグル国渡航記」の元ネタか。

雨夜の怪

 上が平らで脚がたくさんある怪物に勘違いされる笑話。

両面銭

 狄青将軍が、銭の表裏で占う吉凶占いの際、こっそり両面とも表のインチキな銭を作っておいて景気づけした話。「紅い面が出た」とあることからすると、表裏で違う色を塗った占い用の硬貨があったということか? 厭勝銭のたぐい?

「異形コレクション・綺賓館」に見る雪女と人魚の呼称

 「SEA-WYF雑感」の記事で人魚という言葉にバリエーションがないのでは、と述べた。

 ここに、現代日本の代表的な怪異譚のアンソロジーに「異形コレクション・綺賓館」がある。生き延びた古典と現代の新作を織り交ぜた編集方針からも、雪女と人魚がどのように呼ばれているか、概観するにはよいサンプルだと私は考えた。

 結果としては、確かに人魚という言葉にはバリエーションが外来語のマーメイドぐらいしかないと分かった。とはいえ、雪女のバリエーションの意外な少なさにも驚いたが。

雪女のキス(2000年発行)

 古典的な、雪の性質を帯びた美女の怪のみを対象とする。典型から外れたものには×印を付す。

  • 雪色の怪談 雪おんな(小泉八雲平井呈一訳)-雪おんな
  • 空知川の雪おんな(坪谷京子)-雪おんな(本文には呼称登場せず)
  • 妖婆(岡本綺堂)-×、妖婆・鬼婆・雪女郎
  • 幻に吹雪く 雪女(山田風太郎)-雪女
  • 雪女郎(皆川博子)-雪女郎
  • 雪女臈(竹田真砂子)-雪女臈(タイトル)・雪女(本文)
  • 雪おんな(高木彬光)-×雪おんな(「のっぺらぼう」の変種)
  • 街を凍らせる バスタブの湯(中井紀夫)-呼称登場せず
  • コールドルーム(森真沙子)-呼称登場せず
  • 戻って来る女(新津きよみ)-呼称登場せず
  • 都会の雪女(吉行淳之介)-雪女
  • 涼しいのがお好き?(久美沙織)-雪女
  • 冷蔵庫の中で(矢崎存美)-呼称登場せず
  • 紅い雪・蒼い雪 雪女(赤川次郎)-雪女
  • 深い窓(安土萌)-呼称登場せず
  • 雪うぶめ(阿刀田高)-×、「雪うぶめ」は名称ではなく、「うぶめ」に形容を付したもの
  • 白雪姫(井上雅彦)-呼称登場せず
  • ゆきおんな(藤川桂介)-雪女
  • 雪女のできるまで(菊地秀行)-呼称登場せず
  • 雪色の物語 雪音(菅浩江)-呼称登場せず
  • 雪ン子(宮部みゆき)-×、雪ン子
  • 雪(加門七海)-雪女

人魚の血(2001年発行)

 古典的な、美女の半人半魚のみを対象とする。典型から外れたものには×印を付す。また、海外を舞台とし設定上日本語で会話していないものには△を付す。

SEA-WYF雑感

 「人魚とビスケット」というタイトルの翻訳小説がある。「人魚」と「ビスケット」という仮名の人物が登場する話である。今から書くのは、小説の中身とは関係なく、この「人魚」という言葉についてである。

 この「人魚」、元の語は"mermaid"ではなく"sea-wyf"という聞きなれない語である。作中の説明によると"mermaid"(人魚)の船乗り言葉で、sea-wifeと発音されたとある。この説明が示す通り、wyfはwife(妻)の変形で、つまりは、妖怪風に訳せば「海女房うみにょうぼう」ということになるのだろう。海坊主の親戚みたいなものである。

 さて、ここで振り返ってみると、人魚というのは漢語であり、和語ではない。同じ女怪でも氷雪のあれは「雪女ゆきおんな」である。なら、"mermaid"もmaid(乙女)という語が含まれるのだから「海女うみおんな*1とか(「ユキムスメ」ならぬ)「ウミムスメ」と呼ばれてしかるべきではないだろうか。それがなぜ漢語なのか、「人魚の血」という人魚のアンソロジーでも「人魚」呼び以外見かけなかった覚えがある。不思議なことである。海の女怪は江戸時代以前、民間に根付いていなかった、ということであろうか。

*1:素潜り漁をする女性を指す「あま」という熟字訓があるのは承知している。

並べてあげてくれるな――松尾由美と倉知淳

 東京創元社が推理作家を集めて、それぞれがデビューしたころの思い出をエッセイにしてもらって、それをデビュー年順で並べた「わたしがデビューしたころ」という本がある。そこでは、1991年の松尾由美先生と、1993年の三人のうち倉知淳先生が隣り合っている。

 この二人、デビューした年代もそうだが、年回りも(’60年と’62年)、年一冊前後という比較的寡作なところも、それでも作家生活を長年続けてきたところも似通っている。

 だがデビューの経緯が対照的である。「五十円玉二十枚の謎」という読者応募企画から名編集者戸川安宣氏に引き上げられ、本人曰く「作家志望だったわけでもない」のに「ぬるっと」ミステリ作家になってしまったのが倉知淳先生である。

 それに対し作家になりたかったのが松尾由美先生。ファンジンから雑誌掲載、書籍発刊へとぬるっと作家になりかけて、引き立ててくれた出版社がコケたことで息が続かず、コンテスト応募から出直した(本人曰く、「三度目の正直?」)努力の人である。

 そうやって頑張った松尾先生のあとが、倉知先生である。東京創元社も、並べてあげてくれないで、と思ってしまう一冊であった。