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リュオとジャトウの戦いは激しいものとなった。リュオは確かに「魔王の爪跡」の力を己のものにしていなかった。だが、竜王、竜王の孫リュビ、そしてひ孫リュオと、代々の魔力をもって構築されたこの城が、リュオにとっての最大の武器だった。足元の陥穽、頭上の崩落、壁に当たれば仕掛け罠、行く手を惑わす迷路。ジャトウの軍勢は、誘いをかけるリュオを追ったが、土と鉄と火と水が彼らを襲い、無限の食欲を持った巨大な顎門のように咀嚼していった。しかし魔物たちが力尽き朽ちる果てから、ジャトウは自らの影の中から新たな魔物を呼び出しては差し向け、悠々と、一層一層竜王の城を攻め下って行った。
ついに、竜王の玉座の隠された下、深い深い階段の末の空洞、秘められた「魔王の爪跡」の深い裂け目の前で、リュオとジャトウは再び対峙した。
「か~。こいつが『魔王の爪跡』か!」目前のリュオを無視して、ジャトウが唸りを上げる裂け目に感心した。その姿は、地上で対峙した時と比べ、いくらかほこりっぽくなった感はあるものの、ほとんど差はない。
それに対しリュオの方は衣服にほころびが目立ち、仮面を失った顔にはあざ、杖を支えに荒く息を吐くありさまで、どちらが優勢だったかはあからさまだった。
「まだ貴様のものではないぞ!」
ことここに至れば、爪跡の力を借りるのもやむを得ない、リュオがその覚悟を決めたその瞬間、ジャトウが、今まで携えていただけだった鉄の棍棒をぶんとリュオに投げつけた。もつれる脚でなんとか避けたその隙に、後ろから飛んできた
「はっ、放すのじゃ!」
もがくリュオにジャトウはちらと目をやった。
「ほお、なかなか見れる顔をしている。ま、そいつはあとの楽しみだ。さて、本題を果たさせてもらうか」
ジャトウは裂け目にゆっくりと近づいた。裂け目もそれに応えてか、鈍い光が奥底から発し出した。蒸気か噴煙か、沸騰のように白いものが湧きだし始める。ジャトウが、裂け目から力を引き出そうとしているのだ。
「お……おおっ!」
ジャトウが歓喜の声を上げるが、リュオはなにもできなかった。できるのはただ首を裂け目の方に向けて、見ていることだけだった。
白煙は濛々と湧き上がり、大気に漲る力にジャトウが大笑する。
このまま、新たな魔王が誕生してしまうのか。歯を食いしばらせて見つめるリュオの前で、白い気体が何かの形を取ろうとしていた。
「わははは、はっ、は?」
縦にすうーっと伸びたかと思うと、左右の端が分かれて持ちあがる。白煙は今や明らかに人の形を取ろうとしていた。目鼻立ちはまだはっきりしないが、顔の左右から鰓か翼のような意匠が現れる。そのものが口を開く。
「……ここにいましたか。師よ」
「ハーゴン!」
ジャトウの叫びには絶望と、そしてはっきりとした憎しみの感情が込められていた。
「くぉぉぉお!」ジャトウが前に抱えた両腕の中に、激しい輝きが発生した。ジャトウはそれをハーゴンの生き霊に投げつけた。
「師よ、あなたが奪った力は返してもらう」
白蛇のように煙のハーゴンの片腕がするすると伸び、ジャトウの懐を襲う。緑色したおぞましい蛇身の像が服を破ってジャトウから奪われた。
「それは俺の……」
腕を伸ばすジャトウの全身に、ハーゴンのもう片腕が絡みつく。
「あなたに渡すような余力はもうない。私は今少しでも力が必要なのだ」
雑巾でも絞るかのように、キュッと、ハーゴンの腕が収縮する。ジャトウの口から空気が漏れるような音がした。
「さらばです。師よ」
それを最後にハーゴンの姿は霞のように溶け去った。この「魔王の爪跡」の深い底にある魔界を通して伸ばしていた腕を断ち切ったのだろう。
白煙が消え去ると同時に、この洞穴をいっぱいにしていたはずの怪物たちの姿も無くなっていた。ジャトウの得ていた魔力から生み出された彼らは、ジャトウの魔力が失われたと同時に消滅したのだった。
自由の身になったリュオは、ジャトウの姿を探した。つぶれた風船のように、ジャトウの着ていた大柄な神官衣が裂け目のそばに落ちていた。中に何かがうごめいている。
リュオは痛む体を引きずって駆け寄った。そこにいたのは、ゆるゆるの皮袋の中に骸骨を入れたかのような、見る影もないジャトウだった。
これでは
「……リュビの娘か……」
「……けっ、ハーゴンのやつ、ここには、もう、用が、ないとさ」
「……だろうとも。アレフガルドには世界樹も、もう、ない。
世界の中心は、今やロンダルキアなのだ。
俺たちは、所詮、遺物なのさ……ぐふっ」
最期まで嘲りの言葉を吐き捨てて、ジャトウは完全なぼろぎれと化した。
リュオは思った。確かに自分は過去の遺物かもしれぬ。だが、望まぬものに、新しい時代を任す気はないと。