竜王城の危機・その二

「その一」の続きです。


 黄色く立ち枯れた葦原を、風が波立たせて渡っていく。空は、薄青く霞んでいる。
 竜王のひ孫・リュオは、紫色した竜王の戦装束に身を固め、竜王城の地上部の廃墟の中で、一人、身構えていた。広大な湿原の中、いま彼女のいる所だけが島のように盛り上がって、かつて広壮な宮殿があったことの名残りの、毀たれた岩造りの城壁や、今や支えるものなく立ちすくむ柱をのぞかせている。
 リュオは、南の空を睨みつけた。鋭いリュオの耳は、遥かロンダルキアから飛び来る邪悪なものどもの立てる風切り音を既に捉えていた。やがて、青い空の一角をそこだけ黒く染めて、奴らが来るのが目にも入ってきた。
 リュオは、挑戦の意志を込めて竜の姿を素朴に象った杖を高々と掲げると、呪文を唱えて先制の一撃を放とうとする。
 一直線に定められた、その杖が、くるりと回って、持ち主の躊躇いを見せた。
 まるで泥水のなかに黄金の輝きを見とめてしまったかのように、いま、まさに来らんとする、ハーゴンと同質の混沌の気配の中に、別の気配をリュオは感じとったのだ。
 わずかに逡巡した間に、黒い影はぐんぐんと大きくなり、竜王城を一瞬その影で覆ったかと思うと、葦原の中に大きな音を立てて着陸した。衝撃で噴き上がった草きれや飛沫が治まると、そこには、大木のような腕に巨大な棍棒を携えた青や緑の肌の一つ目巨人ども、生きているかのように自ら動く炎や氷像ども、蝙蝠の翼を生やした剽悍な猿ども、いずれも強大な魔物たちが群れをなしていた。
 リュオは、足に発破を掛けて、あえてかつて巨大な扉があったであろう石段の上に姿を見せると、深く息を吸い込み、魔物の群れに呼びかけた。
 「儂は、王の中の王・竜王の曾孫、リュオ!
 貴様ら、この城にいったい何用じゃ?!」
 戦装束をつけていてよかった、とリュオは一瞬思った。青塗りの仮面は冷や汗を、ゆったりとした衣装は腕の震えを隠してくれたからだ。
 「ひ孫ぉ? そうか、ひ孫か」
 リュオの名乗りに応じてきたのは、ただ一人だけだった。ぎゃあぎゃあと落ち着きのない獣のように叫んでいる魔物たちの群れが自然と左右に二つに割れると、奥から一人の男が姿を現した。
 でかい男だった。上背はそこそこだが、横幅がずっしりと太く、服に染められたハーゴン教団の蝙蝠の紋章が、もとより横長なのが一層間伸びして見える。だが、その体の中には、幹部としての贅沢な生活でついたであろう脂肪のほかに、筋肉も十分詰まっていることは、鉄の棍棒を軽々と扱っていることからもわかった。
 そして、先ほど感じた違和感の源、リュオにとって親しいものである、この城にも今も残る彼女の亡き父と同じ雰囲気を発しているのは、この男だった。
 なぜ、こ奴が? リュオは仮面の覗き穴から男の正体を見定めようとした。もしや、大神官ハーゴン? しかし、リュオの見るところ、この男には、邪神といえども仮初にも神と名のつくものに仕える者の持つ一途なところに欠ける感があった。
 男もまた、ぼさぼさの胡麻塩頭の下の太い目で、品定めするようにじろじろとリュオを見た。
 「ひ孫っつうことは、リュビのやつの娘か? 野郎はどうした? おっんだか?」
 「父上の名を知るとは何者じゃ!」
 質問に質問で返す相手に対し、リュオもまた質問で返した。その時、リュオの頭に閃くものがあった。
 「思い出したぞ、父上が言うておられた……父上と同じ竜王様の弟子が、父上のほかに、もう、一人だけ生き残っていると! 貴様、『野槌』のジャトウじゃな!」
 男はわざとらしく目を見開いた。
 「ほぉー、俺の名を知っていたか? そうよ、俺ぁ竜王の弟子だったさ」
 ジャトウの顔が、金属が錆びつくように細かい鱗が生え角が伸び口は裂け、一瞬にして竜のものになった。驚きにリュオは体が強張るのを感じた。
 「なんだぁ、ドラゴンになるのは一人前の弟子の資格だぜ? もしや、ひ孫さまが竜になれないと? こいつぁ傑作だ」
 ジャトウが顔を戻しながらリュオを嘲笑った。
 「う、うるさいのじゃ!
 そんなことより、ハーゴンの陰におったは貴様なのじゃな!」
 「そのとおりよ」得たりとばかりに、ジャトウはアゴをつるりと撫でた。「ハーゴンのやつに力を与えたのも、ムーンブルクを滅ぼさせたのも、世界に怪物を溢れさせたのも、みな、俺の仕業よ!」
 グギャギャギャッギャァァァァッッッ!
 ジャトウがタンカを切るのと合わせるように、魔物たちが一斉にリュオを吠えたてた。
 思わず杖を握る拳に力が入るリュオに、ジャトウは宣告した。
 「さて、この俺と、仮にも同門のオメーなら、俺の目的もわかるだろう? とっととそこをどけ」
 リュオは、しっかと足を踏みしめて応えた。
「ど……どかぬっ。
 この城は、『魔王の爪跡』は、渡さぬっ! 『魔王の爪跡』は世界の皆のものじゃ、誰か一人のものではないのじゃっ!」
 「なん……だとぉ」リュオの言葉に、ジャトウの目の色調が変わった。そこにいるリュオの姿形ではなく、霊気や魔力を捉える魔法使いの目だった。「なるほどぅ……」ジャトウがくっくっと含み笑いをした。「『皆のもの』ねぇ。貴様ら親子はせっかくの宝を持ち腐れにしたのか」ジャトウは、魔王の爪跡の力を己のものにしなかったリュオ親子を嘲った。ぎゃわぎゃわぎゃわ、と魔物たちも同調して下品に叫ぶ。
 リュオは気付いた。この男が強大な力を持ちながら今まで掛かってこなかったのは、リュオの背後にある魔王の爪跡の力を恐れていたのだと。
 今から、来る! リュオの足が自然と2、3歩さがる。
 おとがいを持ち上げて、リュオは、相手どもをいま一度見定めようとした。そのとき、ふと気付いた。
 ジャトウの周りには、彼よりも遥かに巨きな魔物、華やかなる妖魔、奇矯なる怪物が数多いる。だのに、ジャトウだけが浮かび上がって見えた。まるでジャトウのみが実体で、他はみな彼の影に過ぎないかのようだった。
 杖の動きか背筋の様か、リュオが、わずかに緊張を解いたのがジャトウにも分かったのだろう。声はあげていないのに、ジャトウが「何がおかしい!」とどなり声を投げつけてきた。
 「何も、」リュオは相手を見据えて言った。「大層な軍勢を引き連れておると思うたら、一対一とはな」リュオの言葉は、ジャトウの率いる魔物たちが、全て彼の魔力で生み出されたもので、部下の一人もいないというところを突いていた。
 「てめえっ!」ジャトウが怒りの唸りを上げる。合図の一つもないのに、魔物たちが先頭を争って一斉にリュオに突進してくる。戦いが、始まった。


ジャトウのイメージイラストはこちらを参照。拙作の殴り書きなのはご容赦ください。


「その三」へ続く。


あとがき

一年ぶりの続き、だと? うぁぁ