三つの秘宝と三人の賢者、の蛇足

記事「三つの秘宝と三人の賢者」についての余談です。

 

  不満

同好の士である「のっぱら管理人」さんが示すに、DQ3で、魔の島にわたる必要な三つのものとして、太陽の石・雨雲の杖・聖なる守り(=ロトのしるし)が挙げられていたのは、虹のしずく/ロトのしるし論争に対する製作者堀井雄二さんからの公式解答ではないかと(原文)。

 

たしかに一理あると思うのだが、どうもひっかかる。DQにおいては、ゲーム中のテキスト、それも特にヒントのたぐいは全て真実であるという、信仰か信頼かが私の中にあるからだろう。賢者から直接渡されるわけでないロトのしるしを三つの遺産に数えるのに抵抗があるのだ。

 

このへん、3人の賢者にそれぞれ渡されたのだから、太陽の石・雨雲の杖・虹のしずくが三つの遺産だ、とする虹のしずく派はストレートで羨ましい。

 

確かに、勇者ロトが石盤にあのメッセージを記したのは遥か昔だから、それまでに状況の変化もあろう、毒の沼地のただ中というあり場所からも、隠れたドラマがありそうではある。ここに、人の手を渡り歩いて最後に「ゆきのふ」が手にしたと言うロトの鎧のように、におわすセリフの一つもあれば別なのだが。

 

なお、私の立場は、「賢者の子孫は太陽の石の人と雨雲の杖の人と虹のしずくの人だけど、品物は太陽の石・雨雲の杖・ロトのしるし」だといいな、である。


  「虹のしずく」に理屈付けしてみる

虹のしずくを三つの遺産の一つとする論の弱点は、原料(太陽の石・雨雲の杖)と製品(虹のしずく)が並列にまとめられる不自然さにある。これは、からっぽの虹のしずくというものがあると仮定して、そこに太陽の石と雨雲の杖のパワーが充填されると考えてはどうだろうか。

 

また、勇者ロトが「3つの神秘なるものを3人の賢者に『託』」したというのも、この、原・虹のしずくという物を考えると納得しやすいような気がする(作って渡すことを頼んだ、でも託すと言えなくもないが)。


ちょっと違うが、DQ3のエンディング直前で、太陽の石を渡すシーンがある。あの時、道具欄には太陽の石は消費してしまって最早存在しないことがツッコミどころになっているけれど、パワーを消費したカラの太陽の石を持ち歩いていた、と考えてはどうだろう。


  太陽の石

名前だけは大層である。
DQ9では錬金素材の一つになってしまっているけど、元々の扱いからしてもその程度のアイテムかもしれない。何しろ、ゾーマアレフガルドを闇の世界にしているのを、覆すこともできないのだ。ありかの雰囲気からして、かまどの神様レベルのものじゃないかな。


  聖なるほこらの人

リメイク版DQ1では、虹のしずくを作ってもらう前に太陽の石と雨雲の杖を手渡す場面があるけれど、そこでは「賢者」ではなく「神官」と表現されているな。祠堂に仕えている人なんだからその表現でいいんだろうけど。


イメージ 1

 

  三つの遺産の場所

           DQ3       DQ1
太陽の石    ラダトーム    ラダトーム   

 

雨雲の杖    妖精のほこら  雨のほこら(ルビスの塔跡地)

 

ロトのしるし   ルビスの塔   南端の沼地内(妖精のほこら跡地)


何を意味するかはともかく、雨雲の杖とロトのしるしのありかが入れ替わっている。もし場所がそのままで、沼地の中で見つかるのが雨雲の杖だったならば、妖精に返して預ってもらっていたのが、なにかのトラブルで行方不明になったというのも想像できるだが。