竜王のひ孫と(その三・地底宮殿)

注:この記事は、以前のものの改稿です。


 階段の下には、堅固な坑道が続いていた。
「あたし、安心したわ。崩れたりしたらどうしようと思って」
「いや、ムラサキ。それ、冗談ではなさそうですよ」
 サスケは、分岐点で、先頭に立つロウガが選ばなかった方をムラサキに覗かせた。そこは、割れてぐしゃぐしゃになった石くれで一杯になっていた。いつの時代にか、天井が崩れ落ちたらしい。
「ちょっと!」ムラサキが片手で口を覆い顔を青ざめさせた。「この道は大丈夫なの?」
「おーいっ、何やってんだよ。早く行こうぜーっ」
 松明の揺れる光と共に、ロウガの遠慮ない大声が響いてきた。それが崩壊を招くのではないかと、ムラサキは恐る恐る天井を上目で見た。
「安心して下さい、ムラサキ。ロウガのカンは優れています。それに、もう一つ」
「もう一つ?」
 だが、その疑問はロウガの不用意な叫びに集まってきた怪物たちと、戦闘に入らざるを得なかったため答えられる事はなかった。

「おいっ、外に出ちまったぜ! どうして地面の底に外があるんだよ?」
 ロウガがそう驚くのも当然だった。延々と続いた坑道を潜り抜けた先にあったのは、光と水にあふれる、小さいながらもれっきとした別天地だった。

 光がどこから来るのか、上を見上げても岩盤をくり抜いたような天蓋が広がるばかりで、明り取りの開口部や灯明のようなものは見当たらない。強いて言えば上層の空気が光を放っているようで、照らされればできるはずの影は、下を向いても、ぼんやりと足の周りに漂っているだけだった。

 広がる青い湖水からは、海にほど近い場所のはずなのに、潮のかおりはせず、点在する緑の小島をまたぐように、こじんまりとしていながら上品な造りの屋敷が立っている。様式は古めかしく、古都ラダトームと似た雰囲気を感じさせた。
「どういうこと?」
 ムラサキはサスケの顔を見返したが、一行の知恵袋は口を開かずに面白そうな顔をしているだけであった。

 たとえ魔王のものであろうとも屋敷は屋敷、大金槌を振るういい機会とばかりに押し破ろうとするロウガを引き留め、礼儀通り門より声を掛けたものの返事はなかった。しかし、手をかけてみた大きな扉に鍵がかかっていなかったことを、無言の歓迎と解して、一行は屋敷の中に入ることにした。中はどこもかしこも掃除が行き届いて綺麗に整っており、あるじの性格をうかがわせた。地下道の中で頻繁に出くわした怪物どもは、気配さえなかった。いや、それどころか住人の気配が感じられない。ここに住むものはよほど少ない……あるいは、一人だけかもしれなかった。
 やがて、彼らは一つの広間に出た。その中央に据えられた玉座には、両脇に大きな角を生やした漆黒の兜に、死人のような色醒めた肌、後光のように丸く大きく立った襟に足元まである青い長衣をまとい、竜をかたどった大ぶりの杖を抱えるようにした、つまりは伝説の竜王そのままの姿の人物が腰を下ろしていた。

 ただ、よく見れば顔色が褪めているのは地肌ではなく仮面のようだ。
 その人物が、彼らが入ってきたのを認めると、ひょこりと立ち上がった。
「え、えと……よく来た、ロトの子孫達よ。
 わ……儂が、王の中の王、竜王……」
「「竜王!」」
 ロウガはそれまで片手にぶら下げていた大金槌を振り上げ、ムラサキは杖を構えると呪文の詠唱に入った。
「おぅ?」
 だが、肝心の「竜王」は、仮面に隠れて表情こそ見えないものの、彼らの動きに戸惑っているようだった。
 戦う覚悟ができていないとはマヌケなやつ、突進しようとしたロウガの前に立ちはだかったのが、サスケだった。
「君たち、落ち着いて下さい。
 彼が何かしましたか?
 まずちゃんと挨拶から始めるなんて、紳士的じゃないですか。
 まずは話を聞いてみませ……」
「サスケ、あぶないっ!」
 ぽかっ、という間抜けな音がサスケの頭から響いたのはその直後だった。
「無礼な! 儂は女じゃっ」
 竜の杖を振り下ろした「竜王」が、身構えを解いた、高くよく通る声で言い放った。

「……」
「「「……」」」
 玉座に座りなおした「竜王」は口を閉ざしたまま困ったようにうろうろと左右に目線をやり、向かい合うロトの子孫たちも口を開けないままでいた。
「おい、なんか言えよ」
 このにらみ合いを破ったのは、闘いでもまず突っ込むロウガだった。遠慮のなさ過ぎる言葉に、年上の親戚二人が白い目で見る。
 促されて一層激しく首を振り出した「竜王」が、救いを見つけたように広間の隅に眼をやった。
 釣られて視線を向けたロトの子孫三人の眼に入ったのは、茶会でもするような卓子と椅子であった。
 「竜王」がやっと言葉を発する。
「そっ、そなたたち……な、長旅で疲れておろう」緊張していたのか最初は詰まったものの、「竜王」の話し振りは次第に滑らかになっていった。「まずは、お茶でもいかがじゃ?」

 一行はテーブルセットに席を移した。その上には、リュオの取り出してきた柔らかそうな小麦色の焼き菓子とお茶が並んでいる。
「儂は、竜王陛下のひ孫で、リュオと申す」
 竜王のひ孫が自己紹介した。こうして近くで見ると、ずいぶんと小柄な相手で、ロトの子孫たちの誰よりも背が低い。表情のない仮面の下から、色白でほっそりとした喉がのぞいている。
「オレ、ロウガ」
「私はサマルトリアの王子サスケ、ロトの子孫です。こちらのロウガはやはりロトの子孫で、ローレシアの王子、そしてこちらは、」
「あたしは、ムーンブルクのムラサキ」
 ロウガが真っ先に突っ込み、サスケがそれを援護し、ムラサキがとどめを決める。彼らの戦闘と同じやり方での簡単な自己紹介が終わってから、真っ先に口を開いたのはサスケだった。
「さて、リュオさん。まずはその仮面をとってもらえますか?」
「か、仮面をか?」
 竜王のひ孫は、仮面を両手で押さえるとぶるぶると首を振った。
「顔も見せられない相手とは、話はできませんね」
「そーだそーだ」
 便乗するロウガ。お茶を用意していた動きから見るに衣服の下に尻尾や翼はないようだが、鱗なら生えているのではないかと期待しているのが丸分かりである。ムラサキがそんな少年を睨みつける。
 リュオはうなだれて後ろを向くと、仮面を外した。おずおずと見せたその顔は、蛇のように鱗があるわけでもなく、死者のように青い肌なわけでもなく、何の変哲もない人間のもの、それも、ごく普通の――よく整ってはいるものの――若い娘のものだった。あまり他人と会話したことがないのか、先ほどまで付けていた白木の仮面に劣らず白い肌が真っ赤に染まっている。
「わ、儂は竜らしくないのじゃ。じゃが、竜王様のひ孫であるというのはウソではない。お父様も言っておられた」
「それは分かりました」
「そこで、頼みがあるのじゃ。心広く聞いてほしいのじゃ」
「聞いてみましょう」
「近ごろ、ハーゴンというものがのさばっておる。気に食わんのじゃ」
 意外な人物の名がでたことに、ロトの子孫たち三人は思わず顔を見合わせた。
「儂はハーゴンに逢うたことはない。じゃが、彼奴の動きには大地も慄いておののいておる。儂にはその音が聞こえる」
 リュオはそこまで言って身を振るわせた。その時、ロトの子孫たちはかさばった衣装の下に隠された彼女の身体が意外と華奢なことに気が付いた。
「だから、倒してほしいのじゃ」
「なんだよ、魔物同士じゃないか。お前がやれば」
 ロウガの言葉が途切れる。きっちりと膝の上に揃えられたリュオの手が震えているのが見えたのだ。竜王の末裔としての誇りから、怖いとだけは言えないのだろう。
「もちろんただとは言わぬ」
 そう言うと、リュオはほっそりした指で玉座の方を示した。脇には宝箱が二つ準備されてあった。
 三人はまず近いほうの箱を開けてみた。中には、一本の長剣が入っていた。三人が目を止めたのは、その、翼を広げた鳥の形の鍔だった。よく見慣れたロトの紋章の形……。
「まさか」サスケが手を伸ばし、鞘から刃を抜いた。その刃は切れ味を顕すかのように地底の柔らかい光の中でありながら、自ら光を発しているかのように輝いていた。「ロトの剣では」
「「ええっ!」」ロウガとムラサキが声を揃える。
「数十年前、ラダトームから失われたとは聞いていましたが、こんなところにあったのですか」
「ちょっと貸して」ロウガは、感嘆するサスケからロトの剣を脇からもぎ取ると、ぶんぶんと片腕で振り回した。そして、またひょいとサスケに返した。
「軽いなぁ。オレは大金槌の方がいいな」
「そもそも、これはあたしたちから盗んだものじゃないの」ムラサキも辛辣だ。
 意外な話の成り行きに、話の輪を後ろからのぞき込んでいたリュオがおろおろしだす。
「そ、それではこちらはどうじゃ?」
 玉座の反対側に回ると、リュオは今度は自らもう一つの箱を開けて、一本の巻物を取り出した。
「見てもよろしいですか?」
 あわててほどこうとするリュオの手から、サスケは巻物を受け取った。
「ほーう」
「なによ、それ?」
「オレにも見せろよ」
 開かれた巻物には、主に青と緑で彩色された複雑な図形が描かれていた。上半分を中心に、あちこちに文字も書かれている。
「この世界の地図じゃ。大地の声を元に、儂が魔法で作ったものじゃ」リュオが胸を張って説明した。
「えーと、ここがローレシアか。ちっこいなぁ。それにサマルトリアムーンペタ、大砂漠、ドラゴンの角……」
 ロウガが今までの道のりを指でたどる。
「上半分はかなり回ったのか。下半分には何があるんだろう?」
「そんなことより、ハーゴンはどこよ?」ムラサキがいらだたしげに疑問を口にした。
「ここは、デルコンダルベラヌールですね」サスケが南(下)半分にある地方を指さした。「では……」その指が、一点を指す。そこは、環状の巨大な山脈に包まれていた。
 リュオがうなずく。「そうじゃ、鳥も越さぬというロンダルキア台地。そこが、大神官ハーゴンの根城じゃ」
「で、そのロンダルキアにはどうやって行くのよ?」
 ムラサキがロンダルキアの周りの山脈に指で輪を描きながら尋ねた。その一言に、四人ともが絶句した。
「……なに、あんたのくれたもの、どれもこれも役に立たないじゃない? これであたしたちを釣ろうっていうの?」
「それは言い過ぎじゃないですか?」サスケがムラサキをたしなめる。
「そうだ、サスケの言うとおりだ!」ロウガも援護する。「ひ孫のくれたこいつはムラサキのつくるのよりもウマイ。ムラサキも食えば分かる!」大声を上げた口から菓子くずが飛んだ。
「なんですって!」
 二人が睨みあう。そこにサスケが割って入った。
「まあまあ、せっかく助けてくれるって言うんです。ここはありがたく受けておきましょう」
「サスケが、そういうなら」ムラサキは頬をふくらませながらも矛を収めた。
「リュオさん、ありがとうございます。ハーゴンは我々が倒して見せましょう」
「おうよっ」ロウガも腕を振り上げる。ムラサキも、しぶしぶながら頭を縦に振った。
「サスケ殿……それからロウガ殿も、ムラサキ殿も、頼むのじゃ」リュオも頭を下げる。
「そうじゃ、大事なことじゃ」リュオが付け加える。「お主ら、紋章を五つ集めるのじゃ」
「もんしょうって?」ロウガがサスケを見上げる。
 サスケが解説する。「紋章とは、すべての源となる元素のしるしが刻まれた護符です。確か、南の方で発見されて、とある神殿に祀られているとか。幾つもあったんですね」
「そのとおりじゃ。それらを集めれば、精霊ルビス様の護りが得られるじゃろう。まずは、かつてメルキドと呼ばれた土地の南に向かうがよい」
「なるほど」リュオの助言に、サスケが重々しくうなずいた。そして下がろうとするサスケを、リュオが呼びとめる。
「それから……」
「それから?」
「時には……」リュオが口ごもる。
「分かりました!」サスケが快活に笑った。「何か進展があれば、必ず、ご報告に参りましょう」
「うむ」リュオが、満面の笑みを浮かべた。

 彼らは、再び地上に出た。
「サスケがあんなに魔物に優しいとは知らなかったわ。彼女、美人だものね」ムラサキがおおげさに天を仰いで嘆いて見せた。
「まあ、待て」サスケが解説を始めた。「リュオは悪い魔物ではないですよ」彼はもう一度、竜王の城の跡を見回した。「なぜここはこんなに整頓されていると思います? 地下道を安全に歩けるよう整備していたのは?」
「彼女だって言うの?」
「そのとおり、リュオは寂しいんですよ。だから、人が来れる様にしてあるんです。
 魔物が出るようになって、ハーゴンを気に入らないのも本当でしょう。
 それに、あの角。あれは張りぼてですね。首の動きで分かります。彼女は自分で言う以上に人に近しい存在なんですよ」