メモ・歴史イメージ

竜王のひ孫と」世界の歴史です。

  精霊ルビスによる世界開闢以来、ラダトームの王が人類の唯一の君主(上級王)として世界に君臨する時代が長く続いた。それは大魔王ゾーマによる侵略によっても変わらなかった。おそらく、そのころはアレフガルドの外海を越えた地域がまだ朧に霞んでいたからであろう。
 その中で、唯一辺境のデルコンダルのみが独自の君主を戴いていたが、ラダトームに遠慮して太守と名乗るにとどまっていた。
 それが変わったのは、竜王の出現によってであった。竜王の出現以来魔物が出没するようになり各地の往来が極めて不自由となったが、それは海を挟むアレフガルドの内外で特に顕著であった。ラダトームからの支援をほとんど受けられず独自に抗戦せざるを得なかった海外諸地方は、おのずと独立傾向を強めたのであった。特にのちにローレシアとなる地域では「勇者の泉」で洗礼を受けた勇者たちが活躍したことが知られている。
 その傾向は、竜王が倒れ交通が回復した後も変わらなかった。その中で、「ロトの勇者」「竜殺しの勇者」コロウがラダトームの王女ローラを伴ってアレフガルドを離れた。彼らは東大陸の果ての辺境で現地の剽悍な領主たちに推戴され、ラダトーム本国の王に対して「新王」を名乗った。ここに、ラダトームに次ぐ第二の王国が出現したのである。
 この第二王国は、ラダトームの王女ローラの名を取ってローレシアと称したことからもわかるように、ラダトームと対等となることは企図せずあくまで分家の体裁をとっていた。しかしこの動きは周辺に波及し、デルコンダルも王を称するようになったばかりでなく、東大陸のよりアレフガルドに近いサマルトリアでもコロウの次男を担いで独立を果たした。同じくムーン地域もコロウの三男を迎えたが、権威のみを求める現地有力者層の意向で、中心地ムーンペタからいくぶん離れたムーンブルクに王宮は置かれた。
 こうして、五王国が並立する時代になったのである。

※春秋戦国の周と楚の事例と、平将門の例を参考にしています。