「わたしのリミット」前日譚

 松尾由美先生の小説「わたしのリミット」*1には、物語の始めまでに、こんなやりとりが木暮院長と莉実の父親のあいだにあったのではないか、という想像の、筋立てです。

  ある日、木暮院長のもとに手紙が届く。坂崎公一という差出人の名前はどこかで目にした覚えがあった程度だった。内容は、彼の妻である里美という女性のことで頼みがあるというもの。その名前は、木暮の二十代の終わり、青春の末頃の日々を彩った少女のものだった。そして、彼女のあまりに短い結婚生活と、幼子を残して急死したことも木暮は思い出した。坂崎の頼みというのは、故人の追悼に関わることだろうか、と木暮は予想する。

 待ち合わせの居酒屋で出会った坂崎は、あまりぱっとしない見た目の中年男性だった。「先生に、リミの治療をお願いしたい」と話し出した彼の言葉に、坂崎の娘は莉実と言ったはず、と保管しておいた訃報の記述を思い出し、確認すると、坂崎は「すみません、妻のサトミのことです」と訂正した。そういえば、あの少女は身内からリミとかリミちゃんという愛称で呼ばれていたのだった。

 しかし、すでに亡くなった人に対して治療とは? 当然の疑問を浮かべる木暮に対し、坂崎は「信じられないでしょうが」と前置きをおいて、タイムマシンの存在を明かす。物理学者であった里美の祖父が開発したものだと。

 にわかに信じがたい話に当惑する木暮に、坂崎は指摘する。里美が十五歳の時患った重病が、一か月の失踪のあと回復したことに対し、両親のいる外国で治療にあたっていたという説明がされたのに、疑問を抱かなかったのかと。その言葉に、彼女が入院し、病室を見舞った時の、医学と、そして医師としての自分の両者の未熟さに悔しさを覚えたことを木暮は思い出した。そして、劇的に回復した彼女の病状に、いくら日本より医療の進んでいた外国でも可能かどうか、と不思議に思っていたと告白する。

 とはいえ、それですっかり納得したわけではないが、坂崎の熱意と、再び里美に出会えるかも、という期待、加えてあの時の悔しさを埋め合わすために、手配を行うことを了解する。そして、高額になる治療費のために、違法ながら、坂崎の娘の莉実の名義で保険を使うということは木暮の方から提案した。これで二人は共犯となるのであった。

 そして、母親を知らない莉実のために、真相を明かさないことも坂崎から頼まれ、それも了承した。

 そして、五月のある日、里美はやってきた。少し癖のある髪を肩まで伸ばし、つぶらな瞳をした少女が、姉のようなもう一人の少女とともに。

「院長の木暮です」現在の名を名乗りながら、木暮は一つの区切りがつくのを感じた。